NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会 横浜ロシア語センター

『森は生きている』

Двенадцать месяцев (1943)
S. Y. マルシャーク С. Я. Маршак (1887-1964)
(2021年9月号掲載)

森は生きている

 新年を控えた大晦日に四月に咲くマツユキソウがほしくなった高慢な女王は、「持ってきた者に賞品を出す」というお触れを出します。欲の深い継母の言いつけで吹雪の森に分け入った少女は、12の月の精たちに出会います。彼らの助けでマツユキソウを無事手に入れた少女ですが……。

 この戯曲『森は生きている(原題『12か月 Двенадцать месяцев)』の作者、S. Y. マルシャークは、1887年、ユダヤ人家庭に生まれました。当時のロシアには世界最大規模の500万人を超えるユダヤ人が在住し、さまざまな生活上の制約や差別を受けていて、マルシャーク自身、ギムナジウム(中等教育機関)の入学試験で全科目満点を取りながらも、当時存在した「ユダヤ人子弟の入学者数を制限する」という「定員制」によって入学を拒否されています。しかしたまたま他のユダヤ人学生の退学で空き枠ができ入学を許されたマルシャークは、早くから文才を発揮し、ユダヤ人向けの新聞や雑誌の記者としてキャリアをスタートさせます。第一次世界大戦前にはイギリスに留学して、W.ブレークやW.ワーズワースを始めとするイギリス詩の翻訳者としても活躍し、大戦後は被災した子どもたちを救援する仕事につき、本格的に児童文学に取り組むようになります。

 36歳となる1923年に最初の児童書『檻の中の子どもたち (Детки в клетке)』を発表したマルシャークですが、彼の児童文学作品には「ユダヤ性」がほぼ「感じられない」ことが一つの特徴だと言えるでしょう。ユダヤ人ゆえに人一倍大きかったであろう当局や体制に対する葛藤や苦悩を表面に出すことを、マルシャークはあえて避けていたのではないかとも思われます。

 『森は生きている』は1948年、世界的に有名なモスクワ芸術座で上演されました。真冬の森で、高慢な女王が主人公の少女に毛皮のコートを与えますが、少女が命令を聞かないとなると、すぐにはぎ取ってしまいます。物語の終盤、立場が逆転した二人がふたたび出会い、寒さにふるえる女王に少女は「毛皮のコートならたくさんありますからどうぞどうぞ、差し上げます。(後になって)取り返したりしませんわ」と言います。強者と弱者の立場が入れ替わった時、差別を受けてきた者はどうふるまうのか――。たった一言にマルシャークの思いが読み取れるようにも感じられます。

(文:小林 淳子)

【休載のお知らせ】
 筆者の都合により、本連載をしばらくお休みさせていただきます。

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