機関紙県連版1976年2月号
「今日においてはロシア語講師10名、生徒数70余名を誇る、横浜における最大のロシア語センターとして押しも押されもせぬ存在であることは衆目の一致するところであります。」(杉山秀子、現、駒澤大学教授)
70年代の先生方:
室原、五味、堀江、清水、坪井、近藤、田辺、杉山、広田、島田などの諸先生。
機関紙・県連版、1980年3月号
「1979年、50期を迎えたロシア語教室は延べ約3,500名に達する卒業生を送り出した」
講師や生徒の中から大勢の人が語学研修のためロシアに留学した。
杉山先生、堀江先生、狩野さん、渡辺先生、・・・
80年代のロシア語教室は不安定なソ連邦の政治経済の影響を受け生徒数は概ね20人台と不振を極め、経営は非常に困難で何年も赤字経営が続き、会員のカンパや事業活動で困難を乗り越えた。
1986年5月、現在の「横浜平和と労働会館」の事務所、教室購入を決定
困難な時こそ、前進を!と柴田理事長が5月の臨時総会に、建設予定の「横浜平和と労働会館」の5階のフロアーの半分を購入することを提案、満場一致の賛成を得て、有志会員を募り出資金500万円の有限会社カチューシャを設立、商工中金より35年間のローンで3,700万円の借り入れを行い県連創立後4半世紀にして創立時の「夢」であった鉄筋コンクリートの事務所を確保した。同年9月竣工、入居。