NPO法人神奈川県日本ユーラシア協会 横浜ロシア語センター

ロシア最初の児童雑誌『心と理性のための子どもの読み物』

Детское чтение для сердца и разума
N. I. ノヴィコーフ Н. И. Новиков (1744-1818)
(2020年11月号掲載)

『心と理性のための子どもの読み物』
『心と理性のための子どもの読み物』

N. I. ノヴィコーフ
N. I. ノヴィコーフ

 18世紀のロシアでは、すべての定期刊行物は「アカデミア」の管理下におかれていましたが、1759年にエカテリーナ二世が個人雑誌の刊行を許可し、印刷物による「ジャーナリズム」が芽生えます。こうした時代背景のもと、児童文学にも多大な影響を与えたのが、出版人であり啓蒙活動家でもあったN. I. ノヴィコーフ (1744-1818) です。

 N. I. ノヴィコーフは1769年に風刺雑誌「雄蜂」を発行し、農奴制をはじめとする当時の社会体制をきびしく批判しました。ロシア最初の挿絵入り百科事典となる『世界図絵』の翻訳出版など、約40冊の児童書を発行したN. I. ノヴィコーフですが、児童文学における最大の功績はやはり、ロシア最初の児童向け雑誌「心と理性のための子どもの読み物」を発行した事と言えます。当時はまだ、児童向け雑誌のためにわざわざ対価を支払うという感覚が人々に欠けていることを知っていたN. I.ノヴィコーフは、「心と理性のための子どもの読み物」を新聞「モスクワ報知」の付録として無料配布しました。

 「心と理性のための子どもの読み物」は4年間(1785-1789)発行されました。第一号の冒頭でN. I.ノヴィコーフは「フランス語あるいはドイツ語を知る子どもたちは、自分に適した書物を苦労せずに選ぶことができます。しかし金銭上その他の理由により外国語を習得できなかった者たちには、読むべきものがないのです」と書き、ロシアの子どもたちは母国語であるロシア語をきちんと学ぶべきだと主張します。民主的な啓蒙活動家だったN. I.ノヴィコーフにとって、憎むべきは専制政治と圧政、人間の高慢さと無学であり、逆に善行と道徳心は幼いうちから身につけるべき素養と考えていました。

 時の為政者エカテリーナ二世は啓蒙君主でしたが、「農民プガチョーフの乱」(1773-1775) や「フランス革命」 (1789-1799) など、内外の情勢の影響によりその啓蒙思想はやや変質し、保守化していきます。1792年、N. I.ノヴィコーフは革命思想の持ち主としてついに逮捕され、裁判が行われることなく投獄されてしまいます。女帝の死後に釈放されますが、以後出版活動を許されることはありませんでした。

(文:小林 淳子)

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